金澤神社
Mr.michizane
所在地
〒920-0936 石川県金沢市兼六町1-3
076-261-0502
金沢駅から徒歩約37分。
駐車場なし
周辺有料駐車場(Googleマップ )
歴史
石川県で合格祈願のお参りをするなら金澤神社がおすすめ。
1794年に菅原道真公の子孫とされる加賀藩・前田氏によって創建された。藩校である明倫堂の近くに建てられたものだが、兼六園を形成するにあたり、移設したり解体されるものがあった中、金澤神社は同園に残されることとなった。歴代の藩主から崇敬され、現在では国の登録有形文化財に登録されている。
イベント
1月1日 | 元旦祭 |
1月15日 | 稲荷月次祭、左義長 |
1月25日 | 初天神(月次祭)、勧学祭(午前11時) |
2月1日 | 白蛇月次祭 |
2月15日 | 稲荷月次祭 |
2月25日 | 天神月次祭、勧学祭(午前11時) |
3月1日 | 白蛇月次祭 |
3月15日 | 稲荷月次祭 |
3月25日 | 天神月次祭、勧学祭(午前11時) |
4月1日 | 白蛇月次祭 |
4月上旬 | 奉賛会春祭り・例祭 |
4月15日 | 稲荷月次祭 |
4月18日 | 板屋神社春季祭 |
4月中旬 | 兼六園町会祈願祭 |
4月25日 | 勧学祭(午前11時) |
5月1日 | 白蛇月次祭 |
5月7日 | 兼六園公開記念祭 |
5月15日 | 稲荷月次祭 |
5月中旬 | 倉ヶ嶽白山神社春季祭 |
5月25日 | 天神月次祭、勧学祭(午前11時) |
6月1日 | 白蛇月次祭 |
6月3日 | 百万石茶会お水取り行事(午前9時) |
6月3日 | 茶筅供養(午前10時) |
6月3日 | 石川華道連盟生花展(社務所) |
6月15日 | 稲荷月次祭 |
6月25日 | 天神月次祭、勧学祭(午前11時) |
6月30日 | 夏越しの祓い(午後4時) |
7月1日 | 白蛇月次祭 |
7月15日 | 稲荷月次祭 |
7月25日 | 天神月次祭、勧学祭(午前11時) |
8月1日 | 白蛇月次祭 |
8月15日 | 稲荷月次祭 |
8月25日 | 天神月次祭、勧学祭(午前11時) |
9月1日 | 白蛇月次祭 |
9月15日 | 稲荷月次祭 |
9月中旬 | 御山まつり前夜 |
9月中旬 | 御山まつり |
9月25日 | 秋季例祭、勧学祭(注 午前10時) |
10月1日 | 白蛇月次祭 |
10月15日 | 稲荷月次祭 |
10月下旬 | 倉ヶ嶽白山神社秋季祭 |
10月25日 | 天神月次祭、勧学祭(午前11時) |
10月25日 | 湯本求真先生顕彰祭(10月下旬) |
10月29日 | 奉賛会秋季祭 |
11月中受付 | 七五三詣 |
11月1日 | 白蛇月次祭 |
11月15日 | 稲荷月次祭 |
11月25日 | 天神月次祭、勧学祭(午前11時) |
12月1日 | 白蛇月次祭 |
12月15日 | 稲荷月次祭 |
12月25日 | 天神月次祭、終い天神 |
12月25日 | 絵馬納め |
12月25日 | 勧学祭(午前11時祭典) |
12月31日 | 大祓 |
周辺施設
金沢大学
所在地
〒920-1192 石川県金沢市角間町
TEL:076-264-5111
金澤神社から乗り継ぎ約38分。
金沢大学の創設年について、加賀藩金沢彦三種痘所を起源とすると1862年であり、旧制師範学校などを含む5校を統合した新制金沢大学の発足を起源と考えれば1949年である。真の“グローバル大学”を、地域と世界に開かれた教育重視の研究大学を中期目標として中期計画を掲げている。新潟県の長岡技術科学大学などと同様に、スーパーグローバル大学事業の支援対象となっている。
兼六園
所在地
〒920-0936 石川県金沢市兼六町1
TEL:076-234-3800
金澤神社から徒歩約1分。
兼六園1676年に4代目加賀藩主・前田綱紀の別邸周辺を庭園化したのがはじまり。焼失、移設、増設などを繰り返し、少しずつ現在の姿になっていった。水戸市の偕楽園、岡山市の後楽園とともに、金沢市の兼六園を日本三大庭園呼ぶ。過去に発刊された「ミシュラン観光ガイド」において、最高評価★★★を得ている。
合格案内
合格スタッフの一言
金澤神社は石川県金沢市にあり、毎年おおくの受験生が合格祈願に訪れます。
石川県金沢市といえば、「加賀百万石」とその偉大さを評される加賀藩祖前田家の治めた地です。
前田家といえば織田信長の側近として活躍した前田利家によって勢力を拡大しました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いが勃発、各地の諸将は東西どちらに味方するかに苦渋の選択を迫られましたが、思慮深い前田家においては、東西どちらが勝ってもお家を残せるように、前田利長は東軍に、前田利政が西軍に与しました。
結果はご存じの通り東軍・徳川家康側の勝利に終わり、前田利政がその所領を没収されただけで済んだのでした。
関ケ原の合戦後、徳川家によって、各家は親藩、譜代、外様に分類されました。
外様大名と呼ばれ、徳川家に敵対した勢力側の大名は、領地を没収されたり、改易されたり、減封さえたりしたものの、前田家としては百万石の大大名であり続けましたね。
外様大名について少しだけ。
同じ外様大名とひとくくりにしてしまいそうですが、合戦前から親しくしていた外様大名、合戦後に臣従した外様大名では扱いが全く違っています。
毛利家などは分かりやすいのですが、大戦後(一時は許されたが、後々見つかった連判状が原因で)、安芸国等約120万石から周防国・長門国約30万石への大減封の扱いを受けましたね。
毛利家としては、この待遇に対して、毎年正月に毛利家で行われている、以下のような恒例行事があると言います。
毛利家家臣:「殿、今年はいかが」
お殿様:「いや、時期尚早じゃ」
どういうことかというと、吉川広家は、関ケ原の合戦前に、徳川方に味方する約束をする代わりに、毛利家の領地を維持できるように密約を交わしていたようなのです。
しかし、いざ合戦が終わってみると、前述の通り、真偽も定かでない証拠を突き付けられて国を追われ、財産は大幅に減らされてしまいました。
たどり着いた地は現在でいう山口県萩市で、住むところも食べるものもままならないような悲惨な状況で、家臣たちはリストラしなければならず、毛利家にとっては絶対に許せなかった出来事だったようです。
そういった経緯があり、約260年後、長州志士主導で討幕が果たされる明治維新が成就するまで、毛利の家臣と殿様による恒例行事は続いたそうです。
殿、(徳川家討伐)今年はいかがしますか!?
いや、(徳川家討伐)時期尚早じゃ!
という意味の、なんとも切ない儀式が260年も続いたのです。
毛利家の執念が討幕を成し遂げ、現代までに我が国・日本の代表である総理大臣を8人も輩出しています。
- 伊藤博文(いとうひろふみ)
- 山県有朋(やまがたありとも)
- 桂太郎(かつらたろう)
- 寺内正毅(てらうちまさたけ)
- 田中義一(たなかぎいち)
- 岸信介(きしのぶすけ)
- 佐藤栄作(さとうえいさく)
- 安倍晋三(あべしんぞう)
さて、金澤神社が鎮座する石川県金沢市を支配していた前田家についてのお話のつもりがずいぶん脱線してしましました。
尊王攘夷運動を経て討幕がなされた後の明治2年6月、前田家第13代当主・前田慶寧(まえだ よしやす)は金沢藩知事となりました。
1942年に亡くなった、大日本帝国陸軍で陸軍大将となった前田家第16代当主・前田利為(まえだ としなり)以降のご一族の詳細を見つけることはできませんでしたが、討幕後に主君を失ってからも歴史の表舞台に居続けたことは確かなようです。
菅原道真公の子孫であることで、前田家は守護されたのかもしれませんね。
そんな前田家が礎(いしずえ)を築いた石川県で合格祈願をするなら、金澤神社がおすすめです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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